「原口元気」の版間の差分
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=== 1.FCウニオン・ベルリン === |
=== 1.FCウニオン・ベルリン === |
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2021年5月27日、[[1.FCウニオン・ベルリン|ウニオン・ベルリン]]へ完全移籍することが発表された<ref>{{Cite web|url=http://kicker.town/hannover/2021/05/161144.html|title=原口元気がウニオン移籍、遠藤渓太と共闘へ|publisher=キッカー日本語版|accessdate=2021年5月27日|date=2021年5月27日}}</ref>。 |
2021年5月27日、[[1.FCウニオン・ベルリン|ウニオン・ベルリン]]へ完全移籍することが発表された<ref>{{Cite web|url=http://kicker.town/hannover/2021/05/161144.html|title=原口元気がウニオン移籍、遠藤渓太と共闘へ|publisher=キッカー日本語版|accessdate=2021年5月27日|date=2021年5月27日}}</ref>。 |
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12月には、ドイツビルド紙で前半戦チームMVPにも選ばれた。 |
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2022年2月26日、第24節[[1.FSVマインツ05|マインツ]]戦で先制ゴールを決め、勝利に貢献した<ref>{{Cite web|url=http://www.soccer-king.jp/news/world/ger/20220227/1624362.html|title=原口元気がウニオン・ベルリン加入後初得点! 4試合ぶりの勝利に貢献|publisher=サッカーキング|accessdate=2022年3月1日|date=2022年2月27日}}</ref>。 |
2022年2月26日、第24節[[1.FSVマインツ05|マインツ]]戦で移籍後初となる先制ゴールを決め、勝利に貢献した<ref>{{Cite web|url=http://www.soccer-king.jp/news/world/ger/20220227/1624362.html|title=原口元気がウニオン・ベルリン加入後初得点! 4試合ぶりの勝利に貢献|publisher=サッカーキング|accessdate=2022年3月1日|date=2022年2月27日}}</ref>。 |
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シーズン通してレギュラーに定着し、最終的には30試合で2得点6アシストを記録。5位フィニッシュでクラブ史上初の[[UEFAヨーロッパリーグ]]出場権獲得に貢献した。 |
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=== 日本代表 === |
=== 日本代表 === |
2022年5月15日 (日) 09:01時点における版
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日本代表での原口(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ゲンキ、江南の鷹 | |||||
カタカナ | ハラグチ ゲンキ | |||||
ラテン文字 | HARAGUCHI Genki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1991年5月9日(33歳) | |||||
出身地 | 埼玉県熊谷市 | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 1.FCウニオン・ベルリン | |||||
ポジション | MF / FW / DF | |||||
背番号 | 24 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2004-2006 | 浦和レッズジュニアユース | |||||
2007-2009 | 浦和レッズユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2014 | 浦和レッズ | 167 | (33) | |||
2014-2018 | ヘルタ・ベルリン | 91 | (4) | |||
2018 | → デュッセルドルフ (loan) | 13 | (1) | |||
2018-2021 | ハノーファー | 94 | (15) | |||
2021- | ウニオン・ベルリン | 30 | (2) | |||
代表歴2 | ||||||
2008 | 日本 U-19 | |||||
2011-2012 | 日本 U-22/23 | |||||
2011- | 日本 | 70 | (11) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年5月15日現在。 2. 2022年3月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
原口 元気(はらぐち げんき、1991年5月9日 - )は、埼玉県熊谷市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード、ディフェンダー。1.FCウニオン・ベルリン所属。日本代表。妻はタレント、フリーキャスターの原口るりこ。
来歴
プロ入り前
江南南サッカー少年団の主力選手として2003年の第27回全日本少年サッカー大会で優勝に貢献。その同年に行われた全日本少年フットサル大会に出場、決勝では6ゴール7アシストと全ゴールに絡む活躍で兵庫FCを圧倒し優勝二冠を手にした。中学進学と共に浦和レッズジュニアユースに所属。その後、飛び級でユースに昇格した。
ユースチーム昇格1年目からサテライトの試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。トップチームへの登録がスポーツ新聞で取りざたされたり、浦和の提携先であるバイエルンからオファーを受けるなど動向が注目されていたが、2008年5月23日付けで2種登録選手としてトップ登録された[1]。そして、5月25日のナビスコカップ、対名古屋グランパス戦で公式戦デビューを飾った。これは、バイエルンのオファーに危機感を持ったフロントの意向もあったとされる[2]。10月13日、高円宮杯第19回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会決勝の、対名古屋グランパスU-18戦に出場。1得点2アシストを挙げ、優勝に貢献した。また、AFC U-19選手権2008に出場するU-19日本代表に選出され、1試合に出場している。ユース時代は主に3トップの左ウィングとして起用されていた。
浦和レッズ
2009年1月30日に浦和とプロ契約を締結[3]。これは日本人でクラブ史上最年少である(エスクデロ・セルヒオは17歳ちょうどで契約したが、その時はまだ日本に帰化前)。2009年シーズンは、開幕戦の3月7日対鹿島アントラーズ戦でスタメンを飾りJリーグ初出場を果たすと、4月12日第5節名古屋グランパス戦において、負傷した田中達也と交代で途中出場。クラブ日本人最年少ゴール(17歳11か月3日)を決めた。その後、田中や梅崎司を怪我で欠くチーム事情もあり、スタメンに定着し、チーム2位となる32試合に出場した(1位は、全34試合に出場した阿部勇樹)。4月27日にはリーグ史上4番目の若さ(森本貴幸、阿部勇樹、稲本潤一に次ぐ)でA契約を結んだ。推定年俸は700万円。
2010年は開幕からしばらくは攻撃的なポジションの選手の層が厚かった影響で、途中出場が多かったが、第10節の名古屋グランパス戦で負傷した田中達也との交代で途中出場し今季初ゴールとなる決勝点を記録[4]。その後は故障者が多かったこともあり、スタメン出場も増えていったが、終盤戦は故障者の負傷が癒え好調を維持していた高橋峻希にスタメンの座を譲ることが多くなり、ベンチを暖めることが多かった。
2011年は開幕からレギュラーに定着し、低迷するチームの中でコンスタントに得点を重ねる。この年、チームが残留争いに巻き込まれる中、後半戦は代表招集やほとんどの試合をフル出場する中でコンディションを落としてあまり目立った活躍はできなかったものの、リーグ戦トータルではチームトップの9得点を挙げ、ナビスコカップニューヒーロー賞を受賞した。
2012年はベンチスタートが多かったがJ1第14節ガンバ大阪戦からスタメンに定着する。不慣れな1トップでの起用が多く、公式戦6得点に終わる。2013年は主にシャドーの位置で出場、初めてリーグ戦で2桁得点を記録。2014年からは背番号「9」を背負うことになった[5]。
ヘルタ・ベルリン
2014年5月25日、ドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへ完全移籍することが発表された[6]。契約期間は2014年6月から4年間。公式戦デビューとなったDFBポカール1回戦のSCフォルトゥナ・ケルン戦で、左MFに先発して移籍後初ゴールを挙げた。8月24日のブンデスリーガ開幕節ブレーメン戦でスタメン出場し、2得点に絡む活躍を見せた[7] が、終了間際に相手からのタックルにより右肩関節を負傷し、3週間の離脱となってしまった[8]。2015年3月14日、ブンデスリーガ第25節シャルケ戦に途中出場し、ブンデスリーガ初ゴールを上げた。また、リーグ戦終盤にかけて監督の信頼を勝ち取り、献身的な動きでサイドのレギュラーを獲得した[9]。
2015-16年、第4節のシュトゥットガルト戦で今シーズン初得点をあげた。2016年3月19日、第27節のインゴルシュタット戦では1得点1アシストの活躍を見せてMOMに選出された。
2016-17年、第2節のインゴルシュタット戦で先発出場し、2アシストの活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選出された。その後もリーグ戦第9節までフル出場していたが、第11節で初めて先発を外されて以来、ベンチスタートが増えていく。2月4日、第19節のインゴルシュタット戦では開始59秒でシーズン初得点を決め、再び先発出場する機会を増やすが、終盤は思ったような結果が残せず、また出場機会は減っていった[10]。シーズン後半の不調をパル・ダルダイ監督は、ライバルであるミッチェル・ヴァイザーの復帰による『過剰なモチベーション』にあると分析した[11]。
2017-18年、シーズン開幕前はヘルタとの契約を延長せずに、以前からプレーする事を希望していたプレミアリーグのブライトンへ移籍する可能性が高いと報道されていたが、結局ヘルタに残留してプレーする事を決断[12]。8月19日のブンデスリーガ開幕節シュトゥットガルト戦にて後半から途中出場し、今季初出場をしている。9月14日、欧州ELのアスレティック・ビルバオ戦で途中出場してELデビューを果たした。9月20日、ブンデスリーガ第5節レバークーゼン戦で途中出場を果たし、ヘルタでの公式戦100試合出場を達成した[13]。 10月1日、ブンデスリーガ第7節バイエルン戦で今季初スタメン出場を果たすと、ジェローム・ボアテング、ヨシュア・キミッヒ、マッツ・フンメルスらドイツ代表3人を抜き去り今季初アシストを記録し、MOMとベストイレブンに選出された[14]。しかし、次戦のシャルケ戦でボールロストした直後、シャルケのギド・ブルクシュタラーに対して危険なタックルを見舞い一発退場。2試合の試合出場停止処分を受け、その後は出場機会を急激に減らした[15]。
フォルトゥナ・デュッセルドルフ
2018年1月23日、デュッセルドルフへのレンタル移籍が発表された[16]。1月24日、第19節のアウエ戦で途中出場からさっそくデビューを果たした[17]。1月27日、アウェーのカイザースラウテルン戦でスタメンフル出場を果たし、1ゴール1アシストの活躍でチームを勝利に導き、MOMに選出された。 2月2日、第21節ザントハウゼン戦にて2戦連続となるアシストを記録するも、相手選手と激突し頭部を強打。リーグ戦3試合の休養を強いられた[18]。3月4日、第25節ザンクトパウリ戦にて復帰するとその後もレギュラーポジションを掴み、13試合1ゴール5アシストの結果を残し、チームの1部昇格に貢献した[19]。
ハノーファー96
2018年6月12日、ハノーファーへ2021年6月までの3年契約で完全移籍することが発表された[20]。背番号は「10」。11月25日、アウェーのボルシアMG戦で途中出場を果たし、ブンデス1部通算100試合出場を達成した[21]。
2019年3月10日、雪の中で行われた第28節のレバークーゼン戦では、相手GKをかわして無人のゴールへシュートしたが、ピッチに積もった雪の影響によりゴール目前でボールが急激に減速し、それをDFがクリア。不運な形で移籍後初ゴールを逃してしまった。このシーンは、ブンデスリーガ公式Youtubeチャンネルの特集動画『昨シーズンの「トップ10ミス」』の1位に選ばれ、コメント欄には原口に対して同情のコメントが寄せられた[22]。この不運もありこのシーズン無得点で終え、チームも2部に降格した。11月25日、第14節のダルムシュタット戦で移籍後初ゴールを決めた[23]。
2021年1月24日、第17節ニュルンベルク戦でゴールを決め、MOMと17節のベストイレブン・MVPに選ばれた[24]。ブンデスリーガ2部前半戦を終えた時点で、ロングレンジから決めたゴール数がリーグ単独最多となった[25]。リーグ戦全34試合にスタメン出場し、9ゴール7アシストを記録した。5月24日、契約満了により退団することが発表された[26]。
1.FCウニオン・ベルリン
2021年5月27日、ウニオン・ベルリンへ完全移籍することが発表された[27]。 12月には、ドイツビルド紙で前半戦チームMVPにも選ばれた。 2022年2月26日、第24節マインツ戦で移籍後初となる先制ゴールを決め、勝利に貢献した[28]。 シーズン通してレギュラーに定着し、最終的には30試合で2得点6アシストを記録。5位フィニッシュでクラブ史上初のUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献した。
日本代表
2011年10月7日、キリンチャレンジカップ・ベトナム戦で日本代表初出場。
しかし、2012年ロンドンオリンピック大会メンバーからは落選した。
2015年6月、約2年ぶりに日本代表に招集され、6月11日に行われたイラク戦で日本代表初ゴールを決めた。
2016年3月29日、W杯2次予選のシリア戦ではボランチで起用されて1得点を決めて結果を出した。W杯最終予選ではタイ戦、イラク戦、オーストラリア戦、サウジアラビア戦で連続ゴールを決め、三浦知良や呂比須ワグナーの記録を塗り替えるW杯最終予選としては史上初となる4試合連続得点を記録した[29]。
2018年6月、ロシアワールドカップメンバーに選出。右サイドハーフのレギュラーとして攻守にわたり、多くの運動量[30] でチームのベスト16進出に貢献。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、W杯初ゴールを挙げた。この得点により日本人で初めて決勝トーナメントで得点を挙げた選手となった[31]。11月20日、キリンチャレンジカップ・キルギス戦で直接FKを決め勝利に貢献した[32]。
2019年11月14日、W杯2次予選のキルギス戦で直接FKを決め勝利に貢献した[33]。
人物
- 「浦和ユース黄金世代[34]」中心選手の一人。
- チームメイトであった柏木陽介のブログで「生意気小僧」と評される程の我を通す性格として知られ[35]、試合内容や采配、プレーに納得できない場合など感情を爆発させ人目に関係なく憤激を露わにし度々諍いを生じさせる性格であった。
- 2011年12月10日にチームメートの岡本拓也と喧嘩になり、コーチ陣の制止を振り切って倒れていた岡本の左肩を蹴って左肩関節脱臼(全治3週間)の怪我を負わせ、翌11日にクラブからけん責及び1週間の謹慎処分が下された[36]。
- 2012年J1第27節対柏レイソル戦では、前半27分の交代直後、監督のミハイロ・ペトロヴィッチに詰め寄り[37] チームメイトになだめられたものの試合後サポーターへの挨拶の場に出向かず帰宅した[38]。翌日、練習場にてチームメイトら全員の前で謝罪[38]。
- 2013年6月21日の練習中のミニゲームで監督の采配に不満を示しクーラーボックスを右足で蹴り上げ、直後に練習が中止[39]。これを受け23日にアウェーで行われたナビスコカップセレッソ大阪戦の遠征メンバーから外れることが決定した。ペトロヴィッチ監督は「まだ若い選手ですし、我々が若い選手をつぶしてしまうのは簡単ですが、若い選手に間違いがあったとしても、我々はその間違いを正してあげたいと思います」[40] と語った。
- 浦和に槙野智章が移籍してから、槙野自ら原口の教育係を買って出る。最初の頑なな態度に槙野もたじろぐが、接する内に原口自身の口からサッカーに対する思いが語られるなど、穏健な性格も見せるようになる。合宿などでは相部屋になることも多く、原口がヘルタへ移籍する前の浦和での最後の試合(ナビスコカップ名古屋戦)で、原口のフリーキックのこぼれ球を槙野が押し込み得点した後、槙野はユニフォームを脱ぎ「浦和→ドイツ=ロシアW杯 バイバイ泣き虫ゲンキ!!元気!!」と書かれたアンダーウェアを披露した。2018年のロシアワールドカップには槙野と共にメンバーに選出され、原口はインスタグラムにて「この人とW杯に行けてよかった。どんな時もポジティブでみんなを元気にできる人」と槙野との2ショット写真を見せた[41]。
- 2015年8月30日、タレントでフリーキャスターの香屋ルリコと入籍したことを発表した[42][43]。翌年、夫人の実家の神社で挙式をInstagramで報告[44]。
- 2014年から4年間ヘルタ・ベルリンでプレーしたが、ハノーファー96を経て2021年に1.FCウニオン・ベルリンと契約し、ベルリンに「帰還」した。この件について現地メディアからは『ブンデスリーガでは、ヘルタとウニオンの両方でプレー経験をもつ初めての選手』として紹介された[45]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 江南南サッカー少年団
- 2004年 - 2006年 浦和レッズジュニアユース
- 2007年 - 2009年1月 浦和レッズユース
- 2008年 浦和レッズ(2種登録)
- プロ経歴
- 2009年 - 2014年5月 浦和レッズ
- 2014年6月 - 2018年6月 ヘルタ・ベルリン
- 2018年1月 - 同年6月 フォルトゥナ・デュッセルドルフ(期限付き移籍)
- 2018年6月 - 2021年6月 ハノーファー96
- 2021年6月 - 1.FCウニオン・ベルリン
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 浦和 | 35 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2009 | 24 | 32 | 1 | 6 | 1 | 1 | 0 | 39 | 2 | ||
2010 | 26 | 2 | 6 | 0 | 2 | 2 | 34 | 4 | |||
2011 | 30 | 9 | 4 | 2 | 1 | 0 | 35 | 11 | |||
2012 | 32 | 6 | 4 | 0 | 1 | 0 | 37 | 6 | |||
2013 | 33 | 11 | 4 | 0 | 0 | 0 | 37 | 11 | |||
2014 | 9 | 14 | 4 | 3 | 0 | - | 17 | 4 | |||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2014-15 | ヘルタ・ベルリン | 24 | ブンデス | 21 | 1 | - | 2 | 1 | 23 | 2 | |
2015-16 | 32 | 2 | - | 5 | 1 | 37 | 3 | ||||
2016-17 | 31 | 1 | - | 2 | 0 | 33 | 1 | ||||
2017-18 | 7 | 0 | - | 1 | 0 | 8 | 0 | ||||
デュッセルドルフ | 25 | 2.ブンデス | 13 | 1 | - | 0 | 0 | 13 | 1 | ||
2018-19 | ハノーファー | 10 | ブンデス | 28 | 0 | - | 1 | 0 | 29 | 0 | |
2019-20 | 2.ブンデス | 32 | 6 | - | 1 | 0 | 33 | 6 | |||
2020-21 | 34 | 9 | - | 2 | 0 | 36 | 9 | ||||
2021-22 | ウニオン・ベルリン | 24 | ブンデス | 30 | 2 | - | 5 | 0 | 35 | 2 | |
通算 | 日本 | J1 | 167 | 33 | 28 | 3 | 5 | 2 | 200 | 38 | |
ドイツ | ブンデス | 149 | 6 | - | 16 | 2 | 165 | 8 | |||
ドイツ | 2.ブンデス | 79 | 16 | - | 3 | 0 | 82 | 16 | |||
総通算 | 395 | 55 | 28 | 3 | 24 | 4 | 447 | 62 |
- 2008年は2種登録選手。
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2013 | 浦和 | 24 | 4 | 2 |
通算 | AFC | 4 | 2 |
その他の国際公式戦
- 2016-17
- UEFAヨーロッパリーグ 1試合0得点
- 2017-18
- UEFAヨーロッパリーグ 3試合0得点
- 2021-22
- UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ 7試合0得点
- 2022-23
- UEFAヨーロッパリーグ 0試合0得点
- 出場歴
- 公式戦初ベンチ:2008年5月25日 ナビスコカップ第4節 vs名古屋グランパスエイト戦(豊田スタジアム)
- 公式戦初出場:公式戦初ベンチと同
- 公式戦初得点:2009年4月12日 J1第5節 vs名古屋グランパスエイト戦(豊田スタジアム)
- Jリーグ初ベンチ:2009年3月7日 J1第1節 vs鹿島アントラーズ戦(カシマスタジアム)
- Jリーグ初出場:Jリーグ初ベンチと同
- Jリーグ初得点:公式戦初得点と同
タイトル
クラブ
- 江南南サッカー少年団
- 全日本少年サッカー大会:2003
- 全日本少年フットサル大会:2003
- 浦和レッズジュニアユース
- 浦和レッズユース
- フォルトゥナ・デュッセルドルフ
代表
- 日本代表
個人
代表・選抜歴
出場大会
- U-16日本代表
- U-18日本代表
- U-19日本代表
- AFC U-19選手権2008(1試合0得点)
- U-20日本代表
- U-22日本代表
- U-23日本代表
- ロンドン五輪 予備登録メンバー
- 日本代表
- AFCアジアカップ2011 予備登録メンバー(2011年)
- 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2011年)
- EAFF東アジアカップ2013(2013年)
- AFCアジアカップ2015 予備登録メンバー(2015年)
- 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選(2015年)
- キリンカップサッカー2016(2016年)
- 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2016年)
- 2018 FIFAワールドカップ(2018年)
- AFCアジアカップ2019(2019年)
- 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選(2019年)
- 2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2021年)
試合数
- 国際Aマッチ 70試合 11得点(2011年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2011 | 1 | 0 |
2013 | 2 | 0 |
2015 | 8 | 1 |
2016 | 9 | 5 |
2017 | 9 | 0 |
2018 | 11 | 2 |
2019 | 13 | 3 |
2020 | 4 | 0 |
2021 | 9 | 0 |
2022 | 4 | 0 |
通算 | 70 | 11 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2015年6月11日 | 日本、横浜 | イラク | ○4-0 | キリンチャレンジカップ2015 |
2. | 2016年3月29日 | 日本、さいたま | シリア | ○5-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
3. | 2016年9月6日 | タイ、バンコク | タイ | ○2-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
4. | 2016年10月6日 | 日本、さいたま | イラク | ○2-1 | |
5. | 2016年10月12日 | オーストラリア、メルボルン | オーストラリア | △1-1 | |
6. | 2016年11月15日 | 日本、さいたま | サウジアラビア | ○2-1 | |
7. | 2018年7月2日 | ロシア、ロストフ・ナ・ドヌ | ベルギー | ●2-3 | 2018 FIFAワールドカップ |
8. | 2018年11月20日 | 日本、豊田 | キルギス | ○4-0 | キリンチャレンジカップ2018 |
9. | 2019年1月13日 | アラブ首長国連邦、アブダビ | オマーン | ○1-0 | AFCアジアカップ2019 |
10. | 2019年1月28日 | アラブ首長国連邦、アル・アイン | イラン | ○3-0 | |
11. | 2019年11月14日 | キルギス、ビシュケク | キルギス | ○2-0 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
脚注
- ^ レッズユース、原口元気をトップ登録 Archived 2008年6月15日, at the Wayback Machine.
- ^ 若き才能・原口元気が覚醒する日
- ^ 原口元気(浦和レッズユース)と契約 Archived 2011年9月14日, at the Wayback Machine.
- ^ 浦和逆転勝ち 原口左足で押し込んだ!
- ^ ミスター・レッズの9番、原口が継承 デイリースポーツ
- ^ “浦和FW原口元気、細貝所属のヘルタへ完全移籍…渡独後正式契約”. サッカーキング (2014年5月25日). 2014年5月25日閲覧。
- ^ “元気 ブンデス初陣で存在感!絶妙パス&強烈左足で2点絡む”. スポニチ (2014年8月25日). 2014年8月25日閲覧。
- ^ “原口 右肩関節負傷で3週間離脱”. スポニチ (2014年8月25日). 2014年8月25日閲覧。
- ^ 1部残留へ。ヘルタ原口元気が信頼を勝ち得た理由
- ^ なぜ原口元気は失速したのか?4つの原因と移籍の可能性とは【海外日本人総括】 Goal.com 2017年5月22日
- ^ ヘルタ指揮官が原口元気を批判…気負う理由を「過剰なモチベーション」と分析 Goal.com 2017年3月22日
- ^ 原口元気のブライトン移籍は濃厚か!? 地元紙「サヨナラ・ゲンキ」と報じる フットボールチャンネル 2017年6月9日
- ^ “原口がヘルタで公式戦100試合出場”. BUNDESLIGA (2017年9月20日). 2017年10月2日閲覧。
- ^ “「あのプレーは世界級」原口元気が独代表DF3人抜き&アシスト…監督や同僚から称賛の声”. Goal.com (2017年10月2日). 2017年10月2日閲覧。
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- ^ 原口元気、直接FK弾決め苦笑いも「ゴールはゴールなんで良かった」 サッカーキング 2018年11月20日
- ^ 8戦ぶり先発原口がFK弾「僕に取って大事な1点」 日刊スポーツ 2019年11月14日
- ^ 浦和、試練を超えろ黄金世代——08年高円宮杯組の現在地と未来 サッカーキング (2012年8月20日) 2018年12月19日閲覧。
- ^ 柏木陽介オフィシャルブログ
- ^ 元気が1週間謹慎処分、岡本を蹴り脱臼させた…浦和
- ^ 原口、前半途中交代に激怒も…浦和 ポポV弾で劇勝! スポーツニッポン 2012.9.30付記事
- ^ a b 前節交代に不満げ態度…原口“改心弾”誓う! スポーツニッポン 2012.10.3付記事
- ^ 原口元気、本日のミニゲーム中に途中交代で激怒→クーラーボックスを右足で蹴り上げ、不満を爆発させる。そして練習は中止に・・・
- ^ 「中断期間のトレーニングの成果を出す」 ミシャ監督
- ^ 「この人とW杯に行けて良かった」 原口元気、元同僚との“ほっこり2ショット”公開 FOOTBALL ZONE WEB 2018年7月5日
- ^ “MF原口が結婚報告「もうしました」 相手はフリーアナ・香屋ルリコ”. スポニチ (2015年9月1日). 2015年9月1日閲覧。
- ^ “原口元気が結婚、フリーアナ香屋ルリコと3年半の交際を経てゴールイン”. サッカーキング. 2021年6月13日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “原口元気、妻・香屋ルリコさん実家の神社で結婚式…昨年8月に入籍”. サッカーキング. 2020年12月28日閲覧。
- ^ “ヘルタからウニオンへ:原口元気「今の僕は青ではなく、赤です」”. キッカー日本語版 (2021年7月24日). 2021年7月24日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Genki Haraguchi/原口元気 (@Haragen24) - X(旧Twitter)
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