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{{Infobox military unit
'''国防軍最高司令部'''(こくぼうぐんさいこうしれいぶ、[[ドイツ語|独]]:Oberkommando der Wehrmacht、略号:OKW)は、[[ドイツ国防軍|国防軍]]最高指揮権者である大統領が国防大臣に直接指揮を負託する1922年来の仕組みを廃し、最高指揮権者であるヒトラー自らが国防軍を直接指揮するために1938年に創設された国防軍の組織である。
| unit_name = 国防軍最高司令部<br>Oberkommando der Wehrmacht
| image = [[File:Chef des Oberkommandos der Wehrmacht als Generalfeldmarschall.svg|200px]]
| caption = {{longitem|style=line-height:1.25em;padding:0 0.25em 0.5em; |国防軍最高司令部総長旗(1941–1945)}}
| dates = 1938年2月4日 – 1945年5月23日
| country = {{flag|Nazi Germany}}
| branch = [[ドイツ国防軍]]
| role = [[参謀本部]]
| size = | command_structure =
| garrison = [[:en:Zossen|ツオッセン]]、[[:de:Wünsdorf|ヴュンスドルフ]]
| garrison_label = 本部
| motto = | colors = | colors_label = | march = | mascot = | equipment = | equipment_label =
| battles = {{nowrap|[[:en:European theatre of World War II|ヨーロッパにおける第二次世界大戦]]}}
| anniversaries = | decorations = | battle_honours =
| disbanded =
<!---Commanders--->
| commander1 = [[アドルフ・ヒトラー]]([[総統]])<br>[[カール・デーニッツ]]([[ドイツ国大統領|大統領]])
| commander1_label = {{nowrap|国防軍最高司令官}}
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<!---Insignia--->
| identification_symbol = | identification_symbol_label =
}}
'''国防軍最高司令部'''(こくぼうぐんさいこうしれいぶ、{{lang-de-short|Oberkommando der Wehrmacht}}、略号:'''OKW'''、オーカーヴェー)は、[[ドイツ国防軍|国防軍]][[:en:Wehrmacht#Command structure|最高司令官]]である[[ドイツ国大統領|大統領]]([[総統]])が{{仮リンク|ドイツ国国防省 (ヴァイマル共和政)|en|Ministry of the Reichswehr|de|Reichswehrministerium|label=国防大臣}}に指揮を負託する従来の仕組みを廃し、最高司令官である[[アドルフ・ヒトラー]]自らが国防軍を直接指揮するために1938年に創設された組織である。'''国防軍総司令部'''とも。


== 創設と役割 ==
== 創設と役割 ==
[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]]においては[[ヴァイマル共和国軍|国防軍]](Reichswehr:1935年の[[ドイツ再軍備宣言]]時にWehrmachtに改称)の最高指揮権は大統領が有し、大統領の負託を受けて国防大臣 (Reichswehrminister) が国防軍を直接指揮する。[[1934年]]に[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]大統領が死去した後、ヒトラーは首相職と大統領職を兼務し、国防軍の最高指揮権を手に入れた。しかし、ヒトラーは戦争をも辞さない強引な外交政策に異を唱える国防軍上層部の存在を疎ましく思い、[[1938年]]2月にスキャンダルを理由に[[ヴェルナー・フォン・ブロンベルク|ブロンベルク]]国防大臣と[[ヴェルナー・フォン・フリッチュ|フリッチュ]]陸軍総司令官を失脚させた([[ブロンベルク罷免事件]])。
[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]]においては[[ヴァイマル共和国軍|国防軍]]({{lang|de|Reichswehr}}:1935年の[[ドイツ再軍備宣言]]時に「{{lang|de|Wehrmacht}}」に改称)の最高指揮権は大統領が有し、大統領の負託を受けて国防大臣 ({{lang|de|Reichswehrminister}}) が国防軍を直接指揮していた。[[1934年]]に[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]大統領が死去した後、ヒトラーは首相職と大統領職を兼務し、国防軍の最高指揮権を手に入れた。しかし、ヒトラーは戦争をも辞さない自らの強引な外交政策に異を唱える国防軍上層部の存在を疎ましく思い、[[1938年]]2月にスキャンダルを理由に[[ヴェルナー・フォン・ブロンベルク|ブロンベルク]]国防大臣と[[ヴェルナー・フォン・フリッチュ|フリッチュ]]陸軍総司令官を失脚させた([[ブロンベルク罷免事件]])。


1938年2月4日、ヒトラーは自身が直接国防三軍を指揮すると宣言、後任の国防大臣を任命せず、国防省の国防軍局(Wehrmachtamt)を'''国防軍最高司令部''' と改名、新組織のトップに[[ヴィルヘルム・カイテル]]大将を任じた。この職位は国防軍最高司令部総長(Chef des Oberkommandos der Wehrmacht)と呼ばれ、国務大臣に同位であるが、従来の意味の国防大臣ではなった。
1938年2月4日、ヒトラーは「以後は自身が直接国防三軍を指揮すると宣言、後任の国防大臣を任命せず、国防省の国防軍局({{lang|de|Wehrmachtamt}})発展的解消させて'''国防軍最高司令部'''を設置、新組織のトップに[[ヴィルヘルム・カイテル]]大将を任じた。この職位は'''国防軍最高司令部総長'''({{lang|de|Chef des Oberkommandos der Wehrmacht}})と呼ばれ、形式的には国務大臣に同位であるが、従来の意味の国防大臣ではなく、軍事指揮権を持たない事務職であた。[[File:Chef OKW Version 1.svg|thumb|国防軍最高司令部総長旗(1938-1941)]]戦争指導の最終的な決裁は、'''国防軍最高司令官'''であるヒトラー、国防軍最高司令部総長、陸軍総司令官、海軍総司令官、空軍総司令官、[[親衛隊全国指導者]]、外務大臣などが出席する[[総統大本営]]で行われた。


カイテルは、この会議では最高司令官であるヒトラーの作戦指導に異を唱える参謀将校や歴戦の軍司令官を押さえ込む役割を演じた。カイテルはこのためか敗戦まで国防軍最高司令部総長の地位に留まることができた。
戦争指導の最終的な決裁は、国防軍最高指揮権者ヒトラー、国防軍最高司令部総長、陸軍総司令官、海軍総司令官、空軍総司令官、[[親衛隊全国指導者]]、外務大臣ほかが出席するいわゆる[[総統大本営]]で行われた。


国防軍最高司令部の本部は、[[1939年]][[第二次世界大戦]]直前にベルリンの南 24km のヴュンスドルフ ({{lang|de|[[:de:Wünsdorf|Wünsdorf]]}}) に完成した巨大な地下施設(秘匿名称:{{lang|de|Maybach II}})に移されたが、第二次世界大戦開戦後は[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]は前線近くに[[総統大本営|指揮所]]を設けたので、ヒトラーが滞在するところすべてが、「野戦の移動」国防軍最高司令部となった。[[ベルリン]]の[[総統官邸]]、[[ベルヒテスガーデン]]の山荘([[ベルクホーフ]])、[[オストプロイセン]]の深い森の中に建設された[[ヴォルフスシャンツェ]]等がそうである。
カイテルは、この会議では国防軍最高指揮権者ヒトラーの作戦指導に異を唱える参謀将校や歴戦の軍司令官を押さえ込む役割を演じた。カイテルはこのためか敗戦まで国防軍最高司令部総長の地位に留まることができた。


なお、この機関のヒトラーのもとでの役割を正確に伝えるためには、字義通りの「国防軍最高司令部」よりも「'''統合参謀本部'''(英︰Combined General Staff)」と訳したほうが良い、という説がある<ref>[[ヒュー・トレヴァー=ローパー]](橋本福夫訳)『ヒトラー最期の日』(筑摩書房、1975年)41ページ。</ref>。
国防軍最高司令部の本部は、[[1939年]][[第二次世界大戦]]直前にベルリンの南 24km のヴュンスドルフ ([[:de:Wünsdorf|Wünsdorf]]) に完成した巨大な地下施設(秘匿名称:Maybach II)に移されたが、第二次世界大戦開戦後は[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]は前線近くに[[総統大本営|指揮所]]を設けたので、ヒトラーが滞在するところすべてが、'''野戦の移動'''国防軍最高司令部となった。[[ベルリン]]の[[総統官邸]]、[[ベルヒテスガーデン]]の山荘([[ベルクホーフ]])、[[オストプロイセン]]の深い森の中に建設された[[ヴォルフスシャンツェ]]がそうである。


== 組織 ==
== 組織 ==
国防軍最高司令部は6部門から構成されている。指揮官名と勤務期間を記載する
国防軍最高司令部は6部門から構成されている。指揮官名と勤務期間を記載する
* '''国防軍一般局''':Amtsgruppe Allgemeine Wehrmachtangelegenheiten
** (1939 - 1945 [[歩兵大将]] '''[[ヘルマン・ライネッケ]]''')
** 国防軍損害・戦争捕虜部:Abteilung Wehrmachtverlustwesen (WVW)
*** Wehrmachtauskunftstelle für Kriegerverluste und Kriegsgefangene (WaSt)


* '''[[国防軍情報部]]''':Amtsgruppe Ausland / Abwehr
*'''国防軍最高司令官'''
**総統'''[[アドルフ・ヒトラー]]'''(1938年2月4日 - 1945年4月30日)
** (01.09.1939 - 12.02.1944 [[海軍大将]] '''[[ヴィルヘルム・カナリス]]'''、反ヒトラー活動が露見して逮捕、部下のハンセンが臨時代行)
**海軍元帥・大統領'''[[カール・デーニッツ]]'''(1945年4月30日 - 1945年5月23日)
** (13.02.1944 - 01.06.1944 [[参謀大佐]] '''[[:de:Georg Hansen|ゲオルグ・ハンセン]]'''、親衛隊の[[国家保安本部]]に吸収、同本部軍事情報部と改名)

** (01.06.1944 - 04.05.1945 [[親衛隊少将]] '''[[ヴァルター・シェレンベルク]]''')
*'''総長'''︰
** (05.05.1945 - 08.05.1945 [[親衛隊中佐]] '''[[オットー・スコルツェニー]]''')
**陸軍元帥'''[[ヴィルヘルム・カイテル]]'''(1938年2月4日 - 1945年5月13日)
** 参謀長:Chef des Stabes
**上級大将'''[[アルフレート・ヨードル]]'''(1945年5月13日 - 1945年5月23日)
** 中央管理課:Zentralabteilung

*** (01.09.1939 - January 1944 少将 '''[[ハンス・オスター]]'''(反ヒトラー活動が露見して逮捕)
* '''国防軍一般局''':{{lang|de|Amtsgruppe Allgemeine Wehrmachtangelegenheiten}}
*** (January 1944 - June 1944 大佐 '''Jacobsen''')
** [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]] '''[[ヘルマン・ライネッケ]]'''(1939年 - 1945年)
** 外国課:Abteilung Ausland
** 国防軍損害・戦争捕虜部:{{lang|de|Abteilung Wehrmachtverlustwesen (WVW)}}
*** (01.09.1939 - 30.06.1944 [[海軍中将]] '''[[レオポルト・ビュルクナー]]([[:de:Leopold Bürkner]])'''、[[ベルリン市街戦|ベルリン陥落]]直前に残存ドイツ潜水艦の日本回航について交渉する[[阿部勝雄]][[海軍中将]]の窓口となる)
*** {{lang|de|Wehrmachtauskunftstelle für Kriegerverluste und Kriegsgefangene (WaSt)}}
*** 外交・防衛政策:Gruppe I: Außen- und Wehrpolitik

*** 外国軍との窓口:Gruppe II: Beziehung zu fremden Wehrmächten
* '''[[アプヴェーア|国防軍情報部]]''':{{lang|de|Amtsgruppe Ausland / Abwehr}}
*** 外国軍:Gruppe III: Fremde Wehrmachten, Meldesammelstelle des OKW
** [[海軍大将]]'''[[ヴィルヘルム・カナリス]]'''(1939年9月1日 - 1944年2月12日)
*** 作戦行動中の海軍艦船の補給:Gruppe IV: Etappenorganisation der Kriegsmarine(インド洋に展開するドイツ海軍潜水艦部隊の補給は駐日ドイツ大使館付海軍[[武官]][[パウル・ヴェネッカー]][[海軍中将]]が日本海軍と連携して実施した)
** [[参謀大佐]]'''[[:de:Georg Hansen|ゲオルク・ハンゼン]]'''(1944年2月13日 - 1944年6月1日)
*** 外国新聞報道:Gruppe V: Auslandspresse
** 1944年に親衛隊の[[国家保安本部]]に吸収、同本部軍事情報部と改名。
*** 国際法:Gruppe VI: Militärische Untersuchungsstelle für Kriegsvölkerrecht
** [[親衛隊少将]] '''[[ヴァルター・シェレンベルク]]'''(1944年6月1日 - 1945年5月4日)
*** 殖民地問題:Gruppe VII: Kolonialfragen
** [[親衛隊中佐]] '''[[オットー・スコルツェニー]]''' (1945年5月5日 - 5月8日)
*** 戦力分析:Gruppe VIII: Wehrauswertung
** 参謀長:{{lang|de|Chef des Stabes}}
** 情報課:Abteilung Nachrichtenbeschaffung
** 中央管理課:{{lang|de|Zentralabteilung}}
*** (01.09.1939 - 00.03.1943 大佐 '''[[ハンス・ピーケンブロック]] [[:de:Hans Piekenbrock|Hans Piekenbrock]]''')
*** 少将 '''[[ハンス・オスター]]'''、反ヒトラー活動が露見して逮捕 (1939年9月1日 - 1944年1月)
*** (March 1943 - February 1944 大佐 '''ゲオルグ・ハンセン''')
*** 大佐ヤコブセン (1944年1月 - 6月)
*** 陸軍情報:Gruppe H: Geheimer Meldedienst Heer
** 外国課:{{lang|de|Abteilung Ausland}}
*** 海軍情報:Gruppe M: Geheimer Meldedienst Marine
*** [[海軍中将]] '''[[:de:Leopold Bürkner|レオポルト・ビュルクナー]]'''、[[ベルリン市街戦|ベルリン陥落]]直前に残存ドイツ潜水艦の日本回航について交渉する[[阿部勝雄]][[海軍中将]]の窓口となる (1939年9月1日 - 1944年6月30日)
*** 空軍情報:Gruppe L: geheimer Meldedienst Luftwaffe
*** 外交・防衛政策:{{lang|de|Gruppe I: Außen- und Wehrpolitik}}
*** 諜報機材:Gruppe G: Technische Arbeitsmittel
*** 外国軍との窓口:{{lang|de|Gruppe II: Beziehung zu fremden Wehrmächten}}
*** 経済:Gruppe wi: Geheimer Meldedienst Wirtschaft
*** 外国軍との連絡:{{lang|de|Gruppe III: Fremde Wehrmachten, Meldesammelstelle des OKW}}
*** 報道分析:Gruppe P: Presseauswertung
*** 作戦行動中の海軍艦船の補給:{{lang|de|Gruppe IV: Etappenorganisation der Kriegsmarine}}(インド洋に展開するドイツ海軍潜水艦部隊の補給は[[駐日ドイツ大使館]]付海軍[[武官]][[パウル・ヴェネッカー]][[海軍中将]]が日本海軍と連携して実施した)
*** 無線防衛:Gruppe i: Funknetz Abwehr Funkstelle
*** 外国新聞報道:{{lang|de|Gruppe V: Auslandspresse}}
** 特殊工作課:Abteilung Sonderdienst
*** 国際法の審査:{{lang|de|Gruppe VI: Militärische Untersuchungsstelle für Kriegsvölkerrecht}}
*** (01.09.1939 - July 1943 大佐 '''[[エルウィン・フォン・ラホウゼン]] [[:de:Erwin Edler von Vivremont-Lahousen]]''')
*** 殖民地問題:{{lang|de|Gruppe VII: Kolonialfragen}}
*** (July 1943 - June 1944 大佐 '''[[ヴェッセル・フライターク・フォン・ローリングホーフェン]]''')
*** 戦力分析:{{lang|de|Gruppe VIII: Wehrauswertung}}
*** 少数民族:Gruppe I: Minderheiten
** 情報課:{{lang|de|Abteilung Nachrichtenbeschaffung}}
*** 特別処置:Gruppe II: Sondermaßnahmen
*** 大佐 '''[[ハンス・ピーケンブロック]]''' (1939年9月1日 - 1943年3月)
** 防諜課:Abteilung Abwehr
*** (01.09.1939 - August 1943 大佐 '''[[フランツ―エッカフォ・ベティフェグニ]] [[:de:Franz-Eccard von Bentivegni]]''')
*** 大佐 '''[[ゲオン]]''' (1943年3月 - 1944年2月)
*** 陸軍情報:{{lang|de|Gruppe H: Geheimer Meldedienst Heer}}
*** (August 1943 - 20.09.1943 大佐 '''Heinrich''')
*** 海軍情報:{{lang|de|Gruppe M: Geheimer Meldedienst Marine}}
*** (20.09.1943 - March 1944 大佐 '''[[フランツ―エッカルト・フォン・ベンティフェグニ]] [[:de:Franz-Eccard von Bentivegni]]''')
*** 空軍情報:{{lang|de|Gruppe L: geheimer Meldedienst Luftwaffe}}
*** 諜報機材:{{lang|de|Gruppe G: Technische Arbeitsmittel}}
*** 経済情報:{{lang|de|Gruppe wi: Geheimer Meldedienst Wirtschaft}}
*** 報道分析:{{lang|de|Gruppe P: Presseauswertung}}
*** 無線防諜:{{lang|de|Gruppe i: Funknetz Abwehr Funkstelle}}
** 特殊工作課:{{lang|de|Abteilung Sonderdienst}}
*** 大佐 '''[[エルヴィン・フォン・ヴィヴレモント=ラホウゼン]]''' (1939年9月1日 - 1943年7月)
*** 大佐 '''[[ヴェッセル・フライターク・フォン・ローリングホーフェン]]''' (1943年7月 - 1944年6月)
*** 少数派:{{lang|de|Gruppe I: Minderheiten}}
*** 特別処置:{{lang|de|Gruppe II: Sondermaßnahmen}}
** 防諜課:{{lang|de|Abteilung Abwehr}}
*** 大佐 '''[[フランツ=エッカルト・フォン・ベンティフェグニ]]'''(1939年9月1日 - 1943年8月)
*** 大佐 '''Heinrich'''(1943年8月 - 1943年9月20日 )
***大佐 '''[[フランツ=エッカルト・フォン・ベンティフェグニ]]''' (1943年9月20日 - 1944年3月)
*** 国防軍内の防諜:Führungsgruppe W: Abwehr in der Wehrmacht
*** 国防軍内の防諜:Führungsgruppe W: Abwehr in der Wehrmacht
*** 経済防諜:Gruppe Wi: Abwehr Wirtschaft
*** 経済防諜:Gruppe Wi: Abwehr Wirtschaft
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** 海外電信調査:Auslands(telegramm)prüfstelle
** 海外電信調査:Auslands(telegramm)prüfstelle
*** 分類:Gruppe I: Sortierung
*** 分類:Gruppe I: Sortierung
*** 混合分析:Gruppe II: Chemische Untersuchung
*** 化学分析:Gruppe II: Chemische Untersuchung
*** 私書簡:Gruppe III: Privatbriefe
*** 私書簡:Gruppe III: Privatbriefe
*** 商用文:Gruppe IV: Handelsbriefe
*** 商用文:Gruppe IV: Handelsbriefe
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* '''[[国防軍作戦部]]''':Wehrmacht-Führungsamt (1940年改名 Wehrmachtführungsstab)
* '''[[国防軍作戦部]]''':Wehrmacht-Führungsamt (1940年改名 Wehrmachtführungsstab)
*** (01.09.1939 - 08.05.1945 [[上級大将]] '''[[アルフレート・ヨードル]]''')
**[[上級大将]] '''[[アルフレート・ヨードル]]'''(1939年9月1日 - 1945年5月13日)
** 国防課(L課):Abteilung Landesverteidigung + stellv. Chef WFSt
** 国防課(L課):Abteilung Landesverteidigung + stellv. Chef WFSt
*** (01.09.1939 - 06.09.1944 少将 '''[[ヴァルター・ヴァルリモント]]''')
***少将 '''[[ヴァルター・ヴァルリモント]]''' (1939年9月1日 - 1944年9月6日)
*** (06.09.1944 - 30.11.1944 少将 '''[[トライシュ・フォン・ブトラーブランデンフェルス]] [[:de:Horst Julius Freiherr Treusch von Buttlar-Brandenfels| Freiherr Treusch von Buttlar-Brandenfels]]''')***(01.12.1944 - 23.04.1945 [[山岳兵大将]] '''[[アウグスト・ィンター]] [[:de:August Winter]]''')
***少将 '''[[トライシュ・フォン・ブトラー=ブランデンフェルス]] [[:de:Horst Julius Freiherr Treusch von Buttlar-Brandenfels| Freiherr Treusch von Buttlar-Brandenfels]]''') (06.09.1944 - 30.11.1944)
***[[山岳兵大将]] '''[[アウグスト・ィンター]] [[:de:August Winter]]'''(1944年12月1日 - 1945年4月23日)
*** (23.04.1945 - 08.05.1945 中佐 '''Kleyser''')
*** 中佐 '''Kleyser'''(1945年4月23日 - 1945年5月8日)
** [[国防軍宣伝課]]:Abteilung Wehrmachtpropaganda(01.09.1939 - 08.05.1945 少将 '''[[ハッソー・フォン・ウェーデル]] [[:de:Hasso von Wedel]]''', 1942年に通信兵科から独立した[[宣伝部隊 ]]([[:de:Propagandatruppe|Propagandatruppe]]) の元締め。一万五千人の隊員が約八万件の記事と二百万枚の写真を記録。国防軍宣伝課はこれらを材料に20カ国語版のグラビア雑誌「[[シグナル (雑誌)|シグナル]]」を作製して、国防軍の戦果を国際的に宣伝した。
** [[国防軍宣伝課]](Abteilung Wehrmachtpropaganda)︰国防軍宣伝課は1942年に通信兵科から独立した[[宣伝中隊|宣伝部隊]]([[:de:Propagandatruppe|Propagandatruppe]]) を擁していた宣伝部隊は一万五千人の隊員が約八万件の記事と二百万枚の写真を記録。国防軍宣伝課は[[国民啓蒙・宣伝省]]と協力してこれらを材料に20カ国語版のグラビア雑誌「[[シグナル (雑誌)|シグナル]]」を作製して、国防軍の戦果を国際的に宣伝した。
***少将 '''[[ハッソ・フォン・ヴェーデル]] [[:de:Hasso von Wedel]]'''(1939年9月1日 - 1945年5月8日)
** 陸軍幕僚:Heeresstab(15.02.1942 - 08.05.1945 歩兵大将 '''[[ワルター・ブーレ]] [[:de:Walter Buhle]]''')
** 陸軍幕僚:Heeresstab歩兵大将 '''[[:de:Walter Buhle|ヴァルター・ブーレ]]'''(1942年2月15日 - 1945年5月8日)


* '''国防軍中央管理部''':Wehrmacht-Zentral-Abteilung
* '''国防軍中央管理部''':Wehrmacht-Zentral-Abteilung
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* '''国防軍司法府''':国防軍の司法に関する指揮権はWRとWuStを通じて国防軍最高司令部総長が持つ。
* '''国防軍司法府''':国防軍の司法に関する指揮権はWRとWuStを通じて国防軍最高司令部総長が持つ。
** [[国防軍法務局]]:Wehrmacht-Rechtsabteilung (WR)
** [[国防軍法務局]]:Wehrmacht-Rechtsabteilung (WR)
*** 第部 [[軍法|軍刑法]]:Gruppe I Wehrstrafrecht
*** 第1部 [[軍法|軍刑法]]:Gruppe I Wehrstrafrecht
*** 第部 [[戦時国際法|国際法]]:Gruppe II Völkerrecht
*** 第2部 [[戦時国際法|国際法]]:Gruppe II Völkerrecht
*** 第部 [[行政法]]及び[[民事法]]:Gruppe III öffentliches und privates Recht
*** 第3部 [[行政法]]及び[[民事法]]:Gruppe III öffentliches und privates Recht
** 国防軍[[予審]]部:Wehrmachtuntersuchungsstelle (WuSt)
** 国防軍[[予審]]部:Wehrmachtuntersuchungsstelle (WuSt)


この他に、[[軍法会議]]と退職軍人保護法廷([[:de:Reichsfürsorge- und Versorgungsgericht|de]])が所属する。さらに、1942年以降[[ヴァルター・フォン・ウンルー]]([[:de:Walter von Unruh (General der Infanterie)]]歩兵大将以下の特務参謀(Stab z. B.V.)が置かれた。
この他に、[[軍法会議]]と退職軍人保護法廷([[:de:Reichsfürsorge- und Versorgungsgericht|de]])が所属する。さらに、1942年以降[[:de:Walter von Unruh (General der Infanterie)|ヴァルター・フォン・ウンルヒ]]歩兵大将以下の特務参謀(Stab z. B.V.)が置かれた。


== 無条件降伏後 ==
== 無条件降伏後 ==
参謀本部と国防軍最高司令部は、[[ニュルンベルク裁判]]では犯罪的な組織とは判定されなかった。
参謀本部と国防軍最高司令部は、[[ニュルンベルク裁判]]では犯罪的な組織とは判定されなかった。


== 関連項目 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
* [[陸軍総司令部|ドイツ陸軍総司令部]]
{{Reflist}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* 濱田常二良『独逸軍部論』昭和刊行会、1944年
* [[濱田常二良]]『独逸軍部論』[[昭和刊行会]]、1944年
* S.L.Mayer ''Signal Hitler's Wartime Picture Magazine'', Bison Books, 1976, ISBN 0-13-810051-9
* S.L.Mayer ''Signal Hitler's Wartime Picture Magazine'', Bison Books, 1976, ISBN 0-13-810051-9
* バリー・リーチ『ドイツ参謀本部』戦史刊行会(訳)、原書房、1979年、ISBN 4-562-03384-3
* [[バリー・リーチ]]『ドイツ参謀本部』[[戦史刊行会]](訳)、[[原書房]]、1979年、ISBN 4-562-03384-3
* ノルベルト・フライ / ヨハネス・シュミッツ 『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』五十嵐智友(訳)、1996年、ISBN 4-02-259660-0
* [[ノルベルト・フライ]] / [[ヨハネス・シュミッツ]] 『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』[[五十嵐智友]](訳)、1996年、ISBN 4-02-259660-0
* ヴァルター・ゲルリッツ『ドイツ参謀本部興亡史』守屋純(訳)、学習研究社、1998年、ISBN 4-05-400981-6
* [[ヴァルター・ゲルリッツ]]『ドイツ参謀本部興亡史』[[守屋純]](訳)、[[学習研究社]]、1998年、ISBN 4-05-400981-6

== 関連項目 ==
* [[陸軍総司令部 (ドイツ)|ドイツ陸軍総司令部]](Oberkommando das Heeres:OKH)
* [[海軍総司令部 (ドイツ)|ドイツ海軍総司令部]](Oberkommando der Marine:OKM)
* [[空軍総司令部 (ドイツ)|ドイツ空軍総司令部]](Oberkommando der Luftwaffe:OKL)


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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-->
-->


{{Normdaten}}
[[Category:ドイツ国防軍|こくほうくんさいこうしれいふ]]
{{DEFAULTSORT:こくほうくんさいこうしれいふ}}
[[Category:ドイツ国防軍]]
[[Category:参謀本部]]
[[Category:1938年設立の政府機関]]
[[Category:1945年廃止の政府機関]]

2024年10月13日 (日) 11:06時点における最新版

国防軍最高司令部
Oberkommando der Wehrmacht
国防軍最高司令部総長旗(1941–1945)
活動期間 1938年2月4日 – 1945年5月23日
国籍 ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
軍種 ドイツ国防軍
任務 参謀本部
本部 ツオッセンヴュンスドルフ
主な戦歴 ヨーロッパにおける第二次世界大戦
指揮
国防軍最高司令官 アドルフ・ヒトラー総統
カール・デーニッツ大統領
国防軍最高司令部総長 ヴィルヘルム・カイテル
アルフレート・ヨードル
テンプレートを表示

国防軍最高司令部(こくぼうぐんさいこうしれいぶ、: Oberkommando der Wehrmacht、略号:OKW、オーカーヴェー)は、国防軍最高司令官である大統領総統)が国防大臣英語版ドイツ語版に指揮を負託する従来の仕組みを廃し、最高司令官であるアドルフ・ヒトラー自らが国防軍を直接指揮するために1938年に創設された組織である。国防軍総司令部とも。

創設と役割

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ヴァイマル共和国においては国防軍Reichswehr:1935年のドイツ再軍備宣言時に「Wehrmacht」に改称)の最高指揮権は大統領が有し、大統領の負託を受けて国防大臣 (Reichswehrminister) が国防軍を直接指揮していた。1934年パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領が死去した後、ヒトラーは首相職と大統領職を兼務し、国防軍の最高指揮権を手に入れた。しかし、ヒトラーは戦争をも辞さない自らの強引な外交政策に異を唱える国防軍上層部の存在を疎ましく思い、1938年2月にスキャンダルを理由にブロンベルク国防大臣とフリッチュ陸軍総司令官を失脚させた(ブロンベルク罷免事件)。

1938年2月4日、ヒトラーは「以後は自身が直接国防三軍を指揮する」と宣言、後任の国防大臣を任命せず、国防省の国防軍局(Wehrmachtamt)を発展的解消させて国防軍最高司令部を設置、新組織のトップにヴィルヘルム・カイテル大将を任じた。この職位は国防軍最高司令部総長Chef des Oberkommandos der Wehrmacht)と呼ばれ、形式的には国務大臣に同位であるが、従来の意味の国防大臣ではなく、軍事指揮権を持たない事務職であった。

国防軍最高司令部総長旗(1938-1941)

戦争指導の最終的な決裁は、国防軍最高司令官であるヒトラー、国防軍最高司令部総長、陸軍総司令官、海軍総司令官、空軍総司令官、親衛隊全国指導者、外務大臣などが出席する総統大本営で行われた。

カイテルは、この会議では最高司令官であるヒトラーの作戦指導に異を唱える参謀将校や歴戦の軍司令官を押さえ込む役割を演じた。カイテルはこのためか敗戦まで国防軍最高司令部総長の地位に留まることができた。

国防軍最高司令部の本部は、1939年第二次世界大戦直前にベルリンの南 24km のヴュンスドルフ (Wünsdorf) に完成した巨大な地下施設(秘匿名称:Maybach II)に移されたが、第二次世界大戦開戦後はヒトラーは前線近くに指揮所を設けたので、ヒトラーが滞在するところすべてが、「野戦の移動」国防軍最高司令部となった。ベルリン総統官邸ベルヒテスガーデンの山荘(ベルクホーフ)、オストプロイセンの深い森の中に建設されたヴォルフスシャンツェ等がそうである。

なお、この機関のヒトラーのもとでの役割を正確に伝えるためには、字義通りの「国防軍最高司令部」よりも「統合参謀本部(英︰Combined General Staff)」と訳したほうが良い、という説がある[1]

組織

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国防軍最高司令部は6部門から構成されている。指揮官名と勤務期間を記載する。

  • 国防軍一般局Amtsgruppe Allgemeine Wehrmachtangelegenheiten
    • 歩兵大将 ヘルマン・ライネッケ(1939年 - 1945年)
    • 国防軍損害・戦争捕虜部:Abteilung Wehrmachtverlustwesen (WVW)
      • Wehrmachtauskunftstelle für Kriegerverluste und Kriegsgefangene (WaSt)
  • 国防軍中央管理部:Wehrmacht-Zentral-Abteilung
  • 国防軍司法府:国防軍の司法に関する指揮権はWRとWuStを通じて国防軍最高司令部総長が持つ。

この他に、軍法会議と退職軍人保護法廷(de)が所属する。さらに、1942年以降ヴァルター・フォン・ウンルヒ歩兵大将以下の特務参謀(Stab z. B.V.)が置かれた。

無条件降伏後

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参謀本部と国防軍最高司令部は、ニュルンベルク裁判では「犯罪的な組織」とは判定されなかった。

脚注

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  1. ^ ヒュー・トレヴァー=ローパー(橋本福夫訳)『ヒトラー最期の日』(筑摩書房、1975年)41ページ。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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