コンテンツにスキップ

「牧口一二」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
 
(16人の利用者による、間の20版が非表示)
1行目: 1行目:
'''牧口 一二'''(まきぐち いちじ、[[1937年]] - )は[[日本]]の[[グラフィックデザイナー]]、障害者運動家、[[作家]]。[[大阪府]]出身。大阪美術学校(現[[大阪芸術大学]])卒。障害者の社会進出、自立などを考え、精力的に活動し、[[障害者]]に代わる新しい言葉の模索もしている。<br/>
'''牧口 一二'''(まきぐち いちじ、[[1937年]] - [[2024年]][[9月26日]])は[[日本]]の[[グラフィックデザイナー]]、障害者運動家、[[作家]]。
[[大阪府]]出身。大阪美術学校(現[[大阪芸術大学]])卒。障害者の社会進出、自立などを考え、精力的に活動し、[[障害者]]に代わる新しい言葉の模索もしている。<br/>
現在、被災障害者支援「NPO法人 ゆめ・風10億円基金」事務局長、障害者文化情報研究所所長。[[大阪市立大学]]、[[桃山学院大学]]、[[関西学院大学]]非常勤講師。
現在、被災障害者支援「NPO法人 ゆめ・風10億円基金」事務局長、障害者文化情報研究所所長。[[大阪市立大学]]、[[桃山学院大学]]、[[関西学院大学]]非常勤講師。
障害者だからこそ見える社会の矛盾を鋭く指摘している。
障害者だからこそ見える社会の矛盾を鋭く指摘している。

==人物・エピソード ==
==人物・エピソード ==
歳の頃、脊髄性小児マヒ(ポリオ)にかかり、歩くが不自由になる。小学校年の頃から松葉杖で通学することが出来るようになり、中学、高校、美術学校と、全て地域の学校に通う。(現在は車イスを使っている。) 美術学校卒業後、54社もの就職試験を受けるが、全て不採用となる。その後、美術学校時代の学友の助けで、グラフィック・デザイナーとしての活動を始める。現在、合名会社おばけ箱代表。また障害者が社会進出できることなら何でも手掛けようと、大阪市立大学などで「障害者と人権」論の非常勤講師、障害者文化情報研究所所長、誰でも乗れる地下鉄をつくる会代表の他、NHK教育「きらっといきる」(毎土曜日午後8時~)の司会者としてレギュラー出演。
1歳の頃、脊髄性小児マヒ([[急性灰白髄炎|ポリオ]])にかかり、歩くことが不自由になる。小学校2年の頃から松葉杖で通学することが出来るようになり、中学、高校、美術学校と、全て地域の学校に通う現在は車イスを使っている
美術学校卒業後、54社もの就職試験を受けるが、全て不採用となる。その後、美術学校時代の学友の助けで、グラフィック・デザイナーとしての活動を始める。現在、合名会社おばけ箱代表。また障害者が社会進出出来ることなら何でも手掛けようと、大阪市立大学などで「障害者と人権」論の非常勤講師、障害者文化情報研究所所長、誰でも乗れる地下鉄をつくる会代表の他、過去には[[きらっといきる]]」([[NHK教育]])の司会者としてレギュラー出演していた

障害者の一人として、障害者にしか分からない社会のおかしさ、矛盾を指摘する。また、心や体のどこかに「障害」ある人を「障害者」と呼ぶことについて、疑問を投げかけるほか、「人間の自立」についても考える。さらに、人と人との共生だけでなく、動物と人間、植物と人間、それをとりまく周囲の環境と人間の暮らしについても考える。
障害者の一人として、障害者にしか分からない社会のおかしさ、矛盾を指摘する。また、心や体のどこかに「障害」ある人を「障害者」と呼ぶことについて、疑問を投げかける、「人間の自立」についても考える。さらに、人と人との共生だけでなく、動物と人間、植物と人間、それをとりまく周囲の環境と人間の暮らしについても考えている。

2024年9月26日に死去。87歳没<ref>{{Cite web |title=牧口一二さん死去 87歳 NPO法人「ゆめ風基金」元代表理事 |url=https://mainichi.jp/articles/20240926/k00/00m/040/313000c |website=毎日新聞 |access-date=2024-09-26 |language=ja |date=2024/9/26}}</ref>。

[[日本聖公会]]の信徒で有り、[[大阪聖ヨハネ教会]]にて葬儀が営まれた。

==出演番組==
==出演番組==
* [[きらっときる]]」コメンテーター([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]])
* [[きらっときる]]([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]])
*: 1999年の番組開始から出演していたが、2009年、10周年を迎えたのを機に[[ジェフ・バーグランド]]とともに引退。

== 書籍作品 ==
== 書籍作品 ==
* 「風の旅人」
* 「風の旅人」
28行目: 41行目:
* いじめ、自殺問題を考える 逃げてもええんや、生きぬこう
* いじめ、自殺問題を考える 逃げてもええんや、生きぬこう
* マキさんの自然環境論 夢と理想を求め続けて
* マキさんの自然環境論 夢と理想を求め続けて
==脚注==

{{reflist}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:まきくち いちし}}
{{DEFAULTSORT:まきくち いちし}}
[[Category:日本のグラフィックデザイナー]]
[[Category:日本のグラフィックデザイナー]]
[[Category:日本の社会運動家]]
[[Category:四肢麻痺を持つ人物]]
[[Category:大阪府出身の人物]]
<!--非常勤講師のため×(2014年10月現在の基準)
[[Category:大阪市立大学の教員]]
[[Category:桃山学院大学の教員]]
[[Category:関西学院大学の教員]]
-->
[[Category:大阪芸術大学出身の人物]]
[[Category:1937年生]]
[[Category:1937年生]]
[[Category:2024年没]]
[[Category:日本の聖公会の信者]]

2024年9月27日 (金) 11:14時点における最新版

牧口 一二(まきぐち いちじ、1937年 - 2024年9月26日)は、日本グラフィックデザイナー、障害者運動家、作家

大阪府出身。大阪美術学校(現・大阪芸術大学)卒業。障害者の社会進出、自立などを考え、精力的に活動し、障害者に代わる新しい言葉の模索もしている。
現在、被災障害者支援「NPO法人 ゆめ・風10億円基金」事務局長、障害者文化情報研究所所長。大阪市立大学桃山学院大学関西学院大学非常勤講師。 障害者だからこそ見える社会の矛盾を鋭く指摘している。

人物・エピソード

[編集]

満1歳の頃、脊髄性小児マヒ(ポリオ)にかかり、歩くことが不自由になる。小学校2年の頃から松葉杖で通学することが出来るようになり、中学、高校、美術学校と、全て地域の学校に通う(現在は車イスを使っている)。

美術学校卒業後、54社もの就職試験を受けるが、全て不採用となる。その後、美術学校時代の学友の助けで、グラフィック・デザイナーとしての活動を始める。現在、合名会社おばけ箱代表。また障害者が社会進出出来ることなら何でも手掛けようと、大阪市立大学などで「障害者と人権」論の非常勤講師、障害者文化情報研究所所長、誰でも乗れる地下鉄をつくる会代表の他、過去には「きらっといきる」(NHK教育)の司会者としてレギュラー出演していた。

障害者の一人として、障害者にしか分からない社会のおかしさ、矛盾を指摘する。また、心や体のどこかに「障害」ある人を「障害者」と呼ぶことについて、疑問を投げかける他、「人間の自立」についても考える。さらに、人と人との共生だけでなく、動物と人間、植物と人間、それをとりまく周囲の環境と人間の暮らしについても考えている。

2024年9月26日に死去。87歳没[1]

日本聖公会の信徒で有り、大阪聖ヨハネ教会にて葬儀が営まれた。

出演番組

[編集]

書籍作品

[編集]
  • 「風の旅人」
  • 「ちがうことこそ ええこっちゃ」
  • 「雨あがりのギンヤンマたち」
  • 「夕やけ空のオニヤンマ」
  • 「あなたと障害者と。」
  • 「しまったぁ! ゆめ篇・風篇」
  • 「LOVE」
  • 「障害者と差別語」
  • 「われら何を掴むか」
  • 「ハートで描く心の」
  • 「何が不自由で、どちらが自由か」
  • 「障害者問題ゼミナール―共に生きよう、楽に生きよう」
  • 「ボランティアにおくる14章―活動を深めるためのキーワード」
  • 「初心に戻って」
  • 「松葉杖がゆく」

講演

[編集]
  • 思い出は生きている証 思い出づくり、人づくり
  • 障害者観のイメージチェンジ ヒトでなく人間でありたい
  • いじめ、自殺問題を考える 逃げてもええんや、生きぬこう
  • マキさんの自然環境論 夢と理想を求め続けて

脚注

[編集]
  1. ^ 牧口一二さん死去 87歳 NPO法人「ゆめ風基金」元代表理事”. 毎日新聞 (2024年9月26日). 2024年9月26日閲覧。