第15方面軍 (日本軍)
第15方面軍(だいじゅうごほうめんぐん)は、大日本帝国陸軍の方面軍の一つ。
第15方面軍 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)2月1日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 方面軍 |
所在地 | 日本本土 |
通称号/略称 | 楠 |
最終上級単位 | 第2総軍 |
担当地域 | 近畿地方・中部地方 |
最終位置 | 大阪府 大阪市 |
戦歴 | 第二次世界大戦 |
沿革
編集第二次世界大戦末期、絶対国防圏の要石とされたサイパンを失い、レイテ戦に失敗し、大本営は1945年(昭和20年)1月20日に本土(北海道、本州、四国、沖縄を除く九州)の維持を作戦目的とした「帝国陸海軍作戦計画大綱」を決定、本土に於ける軍の編制を根本的に改めた。
第15方面軍は同年2月6日に、主に近畿・中国・四国地方を作戦地域として編成され、当初は防衛総司令部の指揮下、その後4月8日には新設の第2総軍の指揮下に入り、連合国軍との本土決戦に備えたが、交戦することなしに日本軍の無条件降伏となった。
なお、第15方面軍司令官は中部軍管区司令官を兼ね、軍管区司令官としては天皇に直隷した。また、参謀長、参謀副長も、中部軍管区のそれを兼ねた。
司令部庁舎は現在MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)として現存している。
第15方面軍概要
編集- 通称号:楠
- 編成時期:1945年2月1日
- 最終位置:大阪
- 最終上級部隊:第2総軍
第15方面軍の人事
編集歴代司令官
編集歴代参謀長
編集- 国武三千雄 中将:1945年2月1日 -
歴代参謀副長
編集最終司令部構成
編集最終所属部隊
編集- 第144師団
- 第225師団
- 高射第3師団
- 独立混成第123旅団:金岡正忠少将[1]
- 由良要塞司令部:常岡寛治中将(最終位置:淡路島)
- 由良要塞重砲兵連隊:瀬田善四郎中佐(最終位置:淡路島)
- 第10工兵隊司令部:平山護義少将
- 独立工兵第112大隊
- 独立工兵第113大隊
- 独立工兵第114大隊
- 砲兵部隊
- 独立山砲兵第16連隊:米沢俊雄中佐
- 独立野砲兵第32大隊
- 独立重砲兵第45大隊
- 自走砲第6大隊
- 迫撃砲第19大隊
- 通信部隊
- 電信第45連隊:船戸東中佐
- 第15方面軍通信隊
- 海上挺進戦隊
- 海上挺進第39戦隊
- 海上挺進第40戦隊
- 海上輸送大隊
- 海上輸送第23大隊
- 海上輸送第25大隊
- 海上輸送第26大隊
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。