ケヴィン・クラニー

ドイツのサッカー選手

ケヴィン・デニス・クラニー(Kevin Dennis Kurányi, 1982年3月2日 - )は、ドイツの元サッカー選手ドイツ代表でもあった。現役時代のポジションはFWクラニィクラニクラーニクラーニィクラーニイとも。表記は安定しない。「クラニー」は発音転写として不正確だが、慣用的に多く使用される。

ケヴィン・クラニー
2016年のクラニー
名前
本名 ケヴィン・デニス・クラニー
Kevin Dennis Kurányi
愛称 ケブ
ラテン文字 Kevin KURÁNYI
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
ブラジルの旗 ブラジル
パナマの旗 パナマ
生年月日 (1982-03-02) 1982年3月2日(42歳)
出身地 ブラジルの旗 ブラジル リオデジャネイロ市
身長 190cm
体重 88kg
選手情報
ポジション CF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2005 ドイツの旗 シュトゥットガルト 99 (40)
2005-2010 ドイツの旗 シャルケ 162 (71)
2010-2015 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ 123 (50)
2015-2016 ドイツの旗 ホッフェンハイム 14 (0)
代表歴2
2003-2008 ドイツの旗 ドイツ 52 (19)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年2月2日 (日) 18:46 (UTC)現在。
2. 2012年12月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

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出身地はブラジルリオデジャネイロ。父はフランス生まれのドイツ人、母はパナマ人で、祖父母からはハンガリーとノルウェーの血を継いでいる[1]。父は避暑地ペトロポリスでホテルを経営していた。クラニーは6歳から地元クラブでサッカーを始め、ユース年代は母の故郷であるパナマでもプレーした。

14歳のときに父の故郷であるドイツシュトゥットガルトに渡り、1997年にVfBシュトゥットガルトへ入団した。当初はBチームでプレーし、2001年にプロ契約を結ぶ。2001-02シーズンはトップチームで5試合のみ出場といった具合だったが、2002-03シーズンに突如として頭角を現し、32試合に出場して15得点(シーズン得点ランク4位)を挙げる活躍を見せ、前シーズン8位と低迷していたクラブをブンデスリーガ2位にまで躍進させる立役者となった。

2005年夏のウインドウでシャルケ04へ移籍。移籍金は700万ユーロと報じられた[2]。シャルケ在籍中、彼は2005年から2008年までの3シーズンでクラブトップスコアラーとなり、3回のチャンピオンズリーグを経験した。2010年5月、シャルケとの契約満了に伴い、ディナモ・モスクワへ移籍することが発表された。

2015年7月24日、1899ホッフェンハイムへ1年契約で移籍[3]。5年ぶりにドイツへ復帰した。2016年6月末、契約満了で退団。

その後無所属状態で現役続行を模索していたが、2017年3月24日に現役引退を表明した[4]

家族はヴィクトリヤ夫人との間に一男一女。

代表歴

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ブラジルドイツパナマと3カ国の国籍を有する。「自分はずっとブラジル人」と話すクラニーだが、層の厚いブラジル代表でレギュラーとしてプレーすることは難しいと判断し、ドイツ代表でのプレーを選択した[1]

2003年3月29日のリトアニア戦でデビューし、その後も代表としてEURO 2004コンフェデレーションズ杯に出場したが、2006年ドイツW杯の本選メンバーには選出されなかった。ユルゲン・クリンスマン監督は落選の理由を「シャルケでの不調」とした。

ヨアヒム・レーヴ監督就任後の2008年10月、W杯予選ロシア戦にてクラニーは18人のベンチ入りメンバーから外れた。彼はハーフタイムになると「友人に会う」と席を立ち、そのまま無断でスタジアムを後にしてしまった。この行動を受け、レーヴはクラニーの代表追放を明言[5]。翌日クラニーはレーヴに謝罪の言葉を述べたが、「チームを離れる決断に後悔はなかった」とも話した[6]。退席の理由は、自身の代表での起用に対する不満だった。

脚注

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外部リンク

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