怠惰であるのも困難だ! 「疲労社会」で自分を殺さずに生きるには?

生産性という病(4)

私たちは、絶えず自分の能力を証明しつづけねばならない社会で疲弊し、燃え尽きる。一方、怠惰であることにも特有の困難がある。このとき、風の吹く枝に逆さにぶら下がる蝙蝠のように、〈能動的な無為〉を生きるには……。
現代社会の「生産性という病」を解剖し、解毒剤を練り上げる、気鋭による連載の第4回!
第1回第2回第3回は、それぞれこちらから)

しかし始めるしかない

 文章を書くのは辛い。

 締切をとっくに過ぎても一文字も書き出すことができず、ただ時間だけが過ぎていく。

 書き出しはいつも悩む。腰が重い。最初の一文字をタイプすること。なぜ、たったこれだけのことにいつも頭を抱え呻吟するはめになるのだろうか。何かを始めること。それは単に重荷であるだけではない。何かを始めた瞬間、それは終わらせなければならなくなる。そこには恐れにも似た感情がある。始まりさえしなければ、目的地に到着することも、終わることもないだろうに。ベケットもどこかで書いていたように、一番簡単なのは、始めないことかもしれない。しかし始めるしかない。書かざるをえない。つまり続けるしかない。

 とはいえ、文章を書くのはやはり苦痛でしかない。社会にとって何の役にも立たない、益体もない上にうだつも一向に上がりそうもないばかりか原稿料も大して貰えない文章を書き連ねるのは、やっぱりどう考えても辛い。ぞっとする。もっとも、社会の役に立つ文章が書きたいかと言われれば別段そうでもないのだが。

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怠け者たちの「姿勢」

 今のように、あまりに文章が書きたくなさすぎてどうしようもないときは(とりわけ書き出しが思いつかないときは)、第一次戦後派作家の梅崎春生の作品集『怠惰の美徳』(中央文庫)を本棚からおもむろに引っ張り出してきたりする。たとえば冒頭に収められた「三十二歳」という散文詩はこんなふうに始まる。 

 「三十二歳になったというのに/まだ こんなことをしている/二畳の部屋に 寝起きして/小説を書くなどと力んでいるが/ろくな文章も書けないくせに/年若い新進作家の悪口ばかり云っている」(梅崎春生「三十二歳」)

 この詩を初めて読んだのがまさに三十二歳の頃だったので、当然の如く刺さるものがあった。

 「雑巾にでもなって 生れてくれば よかったのに/人間に生れて来たばかりに/三十二歳となったと言うのに/おれは まだこんなことをしている」(同上)

 梅崎が怠惰について書いた文章を読んでいると、すでに気づけば三十五歳(!)であるにもかかわらず、なんとなく気持ちが落ち着いてくる。さながら一雫のCBDオイルのように、清涼な風が荒んだ心の部屋を吹き抜けていく。「まだこんなことをしている」自分を赦してくれている気がするからだろうか。

梅崎春生『怠惰の美徳』(中公文庫)

 だが『怠惰の美徳』は、ただ怠けることのだらしなさをだらしないままに肯定する書に収まるものでは到底ない。たとえば「蝙蝠の姿勢」という随筆では、他ならぬ怠惰の困難性についても言及されている。

 「私は怠けものです。怠けものというよりは、どんな場合でも楽な姿勢をとりたい性質です。近頃そうなったのではなくて、生まれつきそうなのです。しかし楽な姿勢といっても、日向に寝そべっている猫のような、あんな無為は好きでありません。少年の頃見たことがあるのですが、風の吹く枝に逆さにぶら下がっている蝙蝠のような形。あんな形が好きです。また早瀬のなかで、流れにさからって静止している魚の形。あの蝙蝠や魚は、風や水を適当な刺戟として感じながら、自らの姿勢を保ち、且つ楽しんでいるに違いありません。いや、楽しんでいるかどうかは知らないが、あれが彼らにとって一番楽な形であることは、確かなことでしょう」(梅崎春生「蝙蝠の姿勢」)

 「私は怠けものです」と堂々と宣言した上で、ここで梅崎は暗に怠けものを二種類に分けている。ひとつは猫のような、日向に寝そべり無為を享受するスタイルの怠け者。もうひとつは、蝙蝠や魚に代表される、風や水を適当な刺戟として感じながら、自らの姿勢を保っているスタイルの怠け者。

 二つの怠け者を分かつのは「姿勢」である。

 不動の姿勢をゆるやかに保ち続ける魚や蝙蝠は、しかし単にそこに無為のまま横たわっているのではない。彼らは、外部環境からの刺激に逆らうと同時にそれをどこか楽しんですらいながら己の姿勢を泰然として保ち続けるのだ。

 梅崎はまた次のようにも書いている。「自分を適当に揺れ動かすこと。この適当な振幅の測定がむつかしい」(同上)。流れに逆らう魚は、小刻みに自らの体幹を揺れ動かし続けることで(意識的にせよ無意識的にせよ)その姿勢を保つ。その微妙なバランス感覚。この適当な振幅の測定を一瞬でもはかりそこねると、姿勢が崩れ、そのまま押し流されていってしまうことだろう。

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